世界に、はばたかなくていいよ

近頃は、いや、だいぶ前からだろうか。

これからは「グローバルにはたらこう」とか「グローバルな人材をめざしなさい」とかがよく口にされるようになった。

ぼくは外国語系大学にいたから、グローバルグローバルグローバルグローバルグローバルグローバルなんて言葉を100回死ねるくらいに耳にした。

ぼくは、どちらかというとあくまで国内志向だから何度も聞いてていい気分はしなかったんだよな、と振り返ると思う。

国内の“なにか”がきっかけで、海外へと目が向いて、国内→海外という文脈がなければ、なんだか気持ちがわるいわけだ。

「日本なんてつまらないから、海外でしょ」とすぐに海外に目がいくのは、なんだかなぁ、と阿藤快ばりに感じちゃうのよね。

大学でぼくは、教育学をかじっていた。ちなみに、やってたのはオランダのオルタナティブ教育について。

で、ぼく以外の学生もそれなりにいて、開発教育なのか教育開発なのかをやっていて、カンボジアとかバングラデシュとかの「恵まれない、勉強もできない、発展途上国の子どもたちを救うんだ」と意気込んでるひとが多かった。気持ちわるかった。

いやね、わかるんすよ、確かにぼくらは恵まれていて、大学まで行かせてもらって、勉強がちゃんとできるわけで、そう考えるとその地域の子どもたちは恵まれていない。そこを助けたくなる気持ちはわかる。

だけど、どうだろう? ほんとにそれって発展途上国だけの話なのか? 日本にだって、この島国のなかで、困っている子どもたちはいないのかな? いや、いるでしょ! とぼくは直感的に体験的に思った。

海外だ海外だ、と言ってないで、まずは自分の国、もっと言えば、身の回りの問題を見てみようよ。

そこに目が向いて、はじめて「日本にあるこの問題は、海外ではどうなんだろう?」という文脈ができたらいいよね。もちろん、海外からはいっての逆輸入でもいいけど。

ほんとに怖いのは、遠くだけを見つめて、近くのことが見えないこと。灯台下暗しとは正にこれというべきか。

あとついでに話の流れで言っとくと、発展途上国の子どもたちの現状を「かわいそう」という感情から取り組むひとたちって、結局は上から目線なひとばっかで基本苦手だよ。まったく。

で、まあ、まあね、とりあえず、まとめます。

「グローバル」という、海外志向はたしかに言葉の響きはいい気がするし、かっけぇなあ、ともやっぱ思いがちなんだよ。

日本人はなにかと海外コンプレックスを持ってるひと多いから、そこで対等に渡りあってる感もでるから、余計にね。

でも、多くの場合は、グローバルという言葉はふわふわとしてて、幻想チックで、地に足がつきにいことが多いよ。

そんな言葉に囚われてないで、まずは、ちゃんと、身の回りをもっと見よう。海外にある大きな問題よりも、身近にある小さな問題のほうが、ずっとずっと大きな事だから。

日本に、こと細かくある多様性に敏感じゃないひとが、そこに気づけないひとが、大義をなせるわけもない。ごく当然の話。

ぼくは、海外で大きな案件でバリバリ活躍してるひとよりも、近所でだれに言われずとも清掃をすすんでやってるおじちゃんのほうが断然かっこいいと思うんだよね。

だから、若者はさ、むやみやたらに、世界にはばたこうとしなくていいよ。そんな感じのひとが鈍くパタパタはばたこうとするものなら、いっそぼくはその脚をぐいっと引っ張ってやりたい。

そんな気持ちで、だーッと書きました。最後まで読んでくださったかた、ありがとうございました。

おおみじゃ

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