肩書きに囚われる人たち

言葉にやられちゃだめだよ。特に、頭の中だけで言葉に囚われて、怖じ気づいて、勝手に白タオルを投げ込んじゃうようなやられ方、もしくは呑まれ方は。

「代表取締役」「ファシリテーター」「コーディネーター」などなど、いろんな言葉があって、そういう肩書きがこの世にはある。

で、もちろん、その名に応じた役割があるわけだけど、別にその肩書きを持ってなくても、その役割は担うことは問題なくできるよね。

……にも関わらずだよ、肩書きにこだわる人は多い。

(あ、もちろん、特に「若者」は、という話をいつも通りにしている)

例えば、ファシリテーター(肩書き)でなくても、ファシリテーター(行為)はできるわけですよ。

肩書きを持ってるからといって、虎の威を借りたように、急にファシり(行為)はじめようとする人がいたら、ぼくはげんなりする。正直、萎える。

もし仮に、ファシリテーター(肩書き)は、「引き出しあえる場をつくること」が役割であれば、それをみんなでやろうとすればいい。

肩書きなどいらなくて、中身をよくしたいなら、みんなで引き出しあえる場づくりをすればいいんじゃないか。肩書きによる上下関係なんかいらないっす。あっちいけ。

ただ、もちろん、「今回はあなたがファシリテーター(肩書き)ね」と役割分担している状態であれば、

そこにいるみんなは、役割を担っている人の立ち位置は尊重しつつ、ファシれ(行為)たらいい。いいかんじでアシストしていければ。

基本的に、可能な限りはそこにいるみんなが、肩書きという名の役割をよい意味で無視して、その場の温度を高めて、会話の質を高める。

みたいなことが、できりゃいいんじゃないかって話で。

いろんな肩書きがあるけど、そこに囚われて、中身を大事にできないのはほんともったいない。本末転倒はそのことだ。

特に、学生(ぼくもそうだったんじゃないかとは思うけど)は、なにかの肩書きを名のれていることに満足しちゃいけない。

そこは、スタート地点でしかないから。

そっから先に進めないと、言葉はわるいけど、自慰でしかない。いろんな人にとって、生産的ではないよなぁ。

なんて思いながら、雑感としてまとめました。あらためて言うようだけど、肩書きは別に特別じゃないし、こだわりすぎちゃだめだ。

あ、名刺を持ちたがる人ってのも、通ずるものがあるんだろうなぁ。

あと、「ファシる」って単語は、最近知ったばかりのほやほやを使わせてもらっているw

「言葉に囚われない、呑まれないように」そんなところで、いけ好かない若者話は終わり。くわばらくわばら。

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